+「きゃー、テンション上がる!」ライブ当日があっという間に来てしまった。千奈津は朝からテンションが高い。私は冷静さを保つように、何度も深呼吸をしていた。仕事を早めに切り上げて向かう予定になっている。「ね、楽しみだよね?」「あ、うん。でも、仕事だから」でも、内心は口から心臓が出てきそうなほど、バフバフしていた。十七時開場の十九時開演。大きな会場でコンサートをしてしまうほど、大くんは有名になったのだ。「今日は十六時半に会社を出るぞ」杉野マネージャーが、業務の一環というような口調で言う。「了解しました」千奈津は、愛想のいい返事をしたけど、杉野マネージャーが遠ざかって行くとこちらを見る。「ギリギリじゃない?」不満を漏らしていた。コンサート会場に着いた私たちはスタッフに声をかけると、関係者席へ連れて行かれた。「終了後にご挨拶させていただけますか?」杉野マネージャーが聞くと、ご案内に来ますと言ってスタッフは去って行く。「ヤバイ、近くで見れちゃうってわけ?」千奈津がはしゃぐ。まるで女子高生みたい。真ん中に千奈津が座り、私と杉野マネージャーが挟むように座った。関係者席は、スタンド席にあってステージからは遠い位置にある。けれど、会場を見渡すことができる眺めのいいところだ。圧倒的に女性客が多い。デビューしてから十年は過ぎているから、お姉さん系も多いけど、まだまだ女子高生からの人気もあるようだった。パイプ椅子に座っていると、関係者が数人案内されていた。会場内に流れているのは、COLORの曲ではなくダンスミュージック。早く出てこないかとワクワク感をかき立てる曲なのに、私は緊張している。まるで、身内がステージに立つような気分だ。ステージが暗くなると、黄色い声援が爆発する。「キャー」悲鳴に近い声の中、私たちは関係者席ということもあって大人しく座って見ている。ヒット曲のイントロが流れると、更に観客の声は大きくなった。そして、COLORが登場すると夢の世界へ一気に連れて行かれるような感覚に陥る。体がふわっとしてCOLORの世界観に一気に引きこまれた。気持ちが高揚するなんていつぶりだろう。COLORの曲をしっかり聞いたことはなかったけど、売れている曲ばかりだったから自然と耳に入ってきていて。どの曲も楽しめた。会場が一体になってい
今日のこのステージを見せてもらえたことで、心から納得した気がする。コンサートはアンコールも含めてあっという間の三時間だった。会場のお客さんの満足そうな顔を見ながら待っている。「いや、すごかったな」杉野マネージャーがやや興奮した口調で言う。千奈津は頬を真っ赤に染めて「これから、COLORメンバーに会えるんだよね」と興奮していた。ドクドクドク。釣り合う二人じゃないのにどうしてドキドキするのだろう。赤ちゃんのことを知った大くんは、どんな気持ちだったかな。今日は、はなのしおりを返してもらえるだろうか。「お待たせしました」ぼんやりと考えていた頭に声が降ってくる。スタッフさんが迎えに来たようだ。「では、ご案内いたします」立ち上がって後ろを着いて行くと、たくさんのスタッフが慌ただしく動き回っていた。一歩ずつ歩いて行くと、その中でも賑わっているお部屋がある。「こちらに、いらっしゃいます。マネージャーを呼んできますのでお待ちください」頭を下げて立ち去ったスタッフさんを見送ると、千奈津が肩をポンポンと叩いてくる。「ヤバイ」完全に仕事だってこと、忘れているみたいだ……。「甘藤様お連れしました」スタッフさんが言うと、池村マネージャーが軽く笑顔を向けて近づいてきた。「お久しぶりです」挨拶をしてくれる。杉野マネージャーと私と千奈津が頭を下げると、事務所の方が来て挨拶してくれた。声が聞こえてビクッとなる。その声のほうを見ると大くんがいた。COLORのメンバーもいる。大くんは、スタッフさんや来客に笑顔を向けながら話している。ライブを終えたばかりなのに、対応しなきゃいけないんだ。大変そう。杉野マネージャーに名前を呼ばれて慌てて笑顔を作る。「いい、コンサートだったよな? おい、初瀬」「は、はい」ビクッとして思わず大きめの声で返事をしてしまった。……視線を感じる。大くんがこっちを見た。慌てて目線を下げる。ドドドドドド……。心臓が痛いほど鼓動を打つ。近づいてくる足音に手のひらは汗でびしょびしょだ。「お久しぶりです。甘藤の皆さん来てくださったんですね」さわやかな声が耳を撫でる。大くんのピッカピカの笑顔を間近に見て逃げ出したくなった。杉野マネージャーが挨拶を終えると、千奈津も頭を下げる。「その節はありがとうございました」ビジネス
「もう、すっごく素敵でした」千奈津が言うと赤坂さんがにっこりと笑って対応してくれた。気をよくした千奈津はどんどん話しかける。「杉野マネージャー? おお! お久しぶりですね」男性が話しかけている。偶然過去に仕事にお世話になった人らしく、話が盛り上がっている様子だ。そんな中で突き刺すような視線を感じ、その方向を見ると大くんと目が合った。その場から動けなくなったみたいに、私の体は硬直する。まるで金縛りのような感じだ。ゆっくりと近づいてくる大くん。一体、何をしようとしているのかな。胸が締め付けられるように痛くなり、泣きそうになった瞬間――手首をつかまれて廊下へと連れて行かれた。歩く速度が速くてあっという間に人が少ないところへ連れて行かれる。ところが、遠くからはスタッフ達の声が聞こえるほどの距離だ。壁にドンと背中を押しつけられる。「会いたかった」声を震わせながら言われ、その声に胸がわしづかみにされたような衝撃が走った。「美羽、疑ってごめんな。……子供のこと……。やっぱり、美羽は産もうとしてくれてたんだな」「……真里奈から聞いたんだね」「ああ。もっともっと美羽といろいろ話がしたい。今日は打ち上げがあって遅くなるかもしれないから、明日にでも電話をする。だから着信拒否、解除してくれないか?」「でも、大くんと話をしたら……過去を思い出して気持ちが溢れてしまうかもしれない」「それでいい。俺は美羽を」紫藤さーん、と探している声が聞こえる。私は咄嗟に隠れようとしたが、大くんは顔をぐっと近づけてきた。「着信拒否解除してくれないなら、今ここでバラしちゃうよ? 俺らの過去を。たくさん、スタッフがいるしいい機会だし」そんなの、いきなり過ぎて心の整理がつかない。本気で言っているのだろうか?昔から大くんはちょっぴり意地悪で強引なことを言ってくることがあった。ぼんやりしている私にはそこが魅力的に感じる部分でもあるのだけど。「さあ、どうする? あと数秒で見つかっちゃうよ?」私の顎のラインを親指で優しく撫でて、艶やかな微笑みを向けてくる。それだけのことなのに、心臓が激しく乱れるのだ。「美羽。過去を思い出して怖いのは同じだよ。でも、俺は美羽といろいろと語りたいんだ」真剣に言ってくれるその言葉が、胸にじんわりと広がっていく。過去に怯えていてはいけない。勇
「どこ行ってたの? 探したのよ」千奈津に心配されて私は嘘をついた。「ごめん、お手洗いに」杉野マネージャーは、疑わしげな目で私を見ている。が、あえて何も言われない。「じゃあ、挨拶も終わったし帰ろうか」「夢のような時間だったなぁー。本当に素晴らしいねCOLORって」千奈津は心からの感嘆の声を上げていた。そう言えば……、社長から頼まれていたことがあった。バッグから色紙と油性ペンを出す。社長からのお願いだし忘れたことにできない。「杉野マネージャー、社長から頼まれていたサインどうしましょう」「言いづらいけど、初瀬から頼んでみたら? 紫藤大樹さんに」意地悪。そう思ったけど、口には出さずに言葉を飲み込んで大くんに近づいていく。大くんはスポーツドリンクを飲んでいた。近づいていくスーツ姿の私は、明らかに浮いていて目立つ。「あの、私どもの社長のお孫さんが紫藤さんのファンでして……もしよければサインをしていただけますか?」「ええ、もちろん」言ってペンを受け取る瞬間、指が触れて落としてしまった。たったそれだけなのに身体にじわりと汗をかいてしまう。そこに池村マネージャーが来る。「サインや写真は遠慮していただきたいのですが」冷ややかな口調で言われ怖気づく。「いいじゃない。スポンサーの社長さんのお願いだよ?」大くんはさり気なくかばってくれる。「しかし」そこに杉野マネージャーが近づいてきた。「ご無理を言って申し訳ありません」場を和ませてくれた。大くんは「一枚だけですよ」と笑顔で言ってスラスラっとサインを書いて、渡してくれる。優しすぎると感動していると、池村マネージャーは不機嫌な顔をした。明らかにマネージャーの顔じゃなく、女の……嫉妬に満ちたような表情にびっくりした。――池村マネージャーも、大くんを……男性として見ているのかもしれない。「ありがとうございました。失礼します」一礼をして顔を上げると大くんは、にこっとしてくれた。本当に電話をくれるだろうか……。大くん、またね。私たちは頭を下げて出て行った。
杉野マネージャーと千奈津と三人で会場を出ると、風が冷たい。コートを前に引っ張り震えながら駅を目指して歩いた。家に着いてシャワーを浴び終えると二十三時を過ぎている。大くんとの約束通り着信拒否を解除した。なんだか落ち着かない。もしかしたら、電話を掛けてくるのではないかとハラハラしてしまい、携帯を見つめてしまう。気を紛らわそうとテレビを見たり、本を読んだりするけどドキドキして息苦しい。もう、二十九歳になった大人な女なのに……いつまでも過去の恋にとらわれるなんて、情けない。今なら、大くんと大人な恋愛をすることはできるのだろうか。ベッドに横になってウトウトしていると、スマホがブーブーと音を立てた。ビクッとして画面を確認すると「紫藤大樹」の文字が浮かんでいる。本当に……かけてきた。出なきゃ。手が震えてうまく画面をタッチできない。「あ、切れちゃった……」なんとなく寂しい気持ちになって小さなため息をついた。すぐにかかってきた。今度は気持ちを落ち着かせて出る。「もしもし」『美羽? ごめん。寝てた?』「……ウトウトしてたけど、大丈夫」心臓がバフバフ言っている。『ごめん。やっぱりどうしても今日中に連絡したくて。ねぇ、今日はなんの日か覚えてる?』十一月三日――。付き合いはじめた日。『忘れちゃったかな。付き合いはじめた日だよ』「覚えてるよ。まさか、大くんが覚えていてくれるなんて思わなかったから、驚いちゃった」『そんな大事な日に再会できたってことは、俺らはやっぱり、切っても切れない糸で結ばれているんじゃないかな』頭を過るのは、新入社員だった頃の会話だ。
『ねえ、果物言葉って、知ってる?』『くだものことば? 知らないです』『誕生花や花言葉みたいなものよ。果物言葉は、時期や外観のイメージ・味・性質をもとに作ったものでね。果物屋の仲間達が作ったんだって』調べた日は十一月三日。誕生果はりんごで相思相愛と書かれていた。今でも大くんは私のこと思ってくれているのだろうか。『美羽。会いたい』「……………」切羽詰まったような大くんの声に、今すぐ会いたいと私の心も震え出す。『美羽の家にお邪魔しちゃ駄目かな』「い、今から?」『もう十二時過ぎちゃうし夜中だから、美羽が出てくるのは危ないし。美羽に会いたい。お願い』家を教えてしまうと過去のように、何度も訪ねてくるのではないだろうか。ズルズルとした付き合いをしてしまって、結婚もできないで人生を終えていくのかもしれない。「ショートメッセージで送るね」『ありがとう。タクシーで向かう』電話が切れた。結局人生のリスクよりも、大くんに会えることを選んでしまったのだ。両親がこのことを知ったら、ものすごく怒るだろうな。そして、悲しませてしまうかもしれない。親孝行ができない娘でごめんなさい。Vネックのセーターとジーンズに着替えて髪をとかす。軽くリップを塗って鏡を見つめると、今にも泣きそうな顔をしていた。怖い。これから、どんなことが起きるのか。想像もできなくて物凄く恐ろしい。でも、もう逃げないでちゃんと話したい。嘘をつかないで素直にすべてを打ち明けようと思う。チャイムが鳴った。さっと壁時計を確認すると深夜一時を迎えようとしている。「はい」『俺』「どうぞ」オートロックを解除した。深く息を吸い込んでドアの前に立っていると、足音が聞こえてきてピタッと止まった。チャイムが鳴るまでに間があってふたたび鳴ったからドアを開けると、大くんが立っている。サングラスをかけてキャップを深くかぶったスタイルだった。玄関の中に入るとサングラスを外して、射貫かれるようにじっと見つめられる。「ただいま、美羽」昔と同じように言って笑顔をくれた。「鍵、かけるよ」ガチャ。鍵のかかる音がやたらと大きく感じたのは、私の心の問題なのだろうか。いよいよ、二人きりの空間がはじまる。今日は仕事ではなく、プライベートだ。「お邪魔するね」大くんは遠慮しないでどんどん入ってくる。背
「怖がらないで美羽。嫌なことはしないから。座っていい?」「ど、どうぞ」緊張しながらコーヒーを出した。ソファー座っている大くんの目の前にテーブルを挟んで腰を降ろす。何を話せばいいのだろうか。大くんは何を伝えたくてわざわざこんな深夜に訪ねてきたのかな。二人を包み込む空気は張り詰めていて重い。大くんが動き出したから、警戒して見ていると、バッグの中から何かを大事そうに出してテーブルに置いた。なんだろうと思って見ると、花のしおり。「はな……」久しぶりに「はな」に会えた気がして熱いものが込み上げてくる。思わず抱きしめた。「ごめんな…………」切ない声でつぶやいた大くんのお詫びの言葉には、色んな意味が込められているように聞こえる。子供の形見だと知っての謝罪。もう、私を愛せないとのお詫び。そんな風に聞こえたのは気のせいじゃないよね。今日、来てくれたからって期待をしては駄目なんだよね。「美羽と会うことができたら何から話せばいいんだろうって、ずっと考えてたんだ」すごく優しい声で言葉を紡いでいる大くんを、そっと見る。「真里奈さんに偶然会って、いろいろと事実を知ったよ。子供は堕ろしたんじゃないんだな。……産もうとしてくれてたんだってね」もう真実を知ってしまっている大くんに、隠すことは何もない。「うん……。大くんのこと、大好きだったから……どうしても、産みたかったの」クスっと切なげに笑われる。「過去形?」現在進行形と言ったところで、私と大くんの関係は変わるのだろうか。「事務所に送ってきた手紙には偽りはないの?」「あれは社長さんに、書けと言われたの。大くんの将来を台無しにするなと言われて……」言いづらいけどすべて言ってしまった。大くんの成功のため身を引こうと過去に決意したのに、いいのかなと迷いはあった。「社長らしいな」「実家に社長さんと、COLORのメンバーが実家に来て、赤ちゃんを産まないようにお願いされたの」「そっか。じゃあ、二人にも会ったことがあったんだね」うんとうなずいた。「才能の芽を私が潰してしまうなんてことできなかった。大くんが才能に溢れているのは、近くにいて痛いほどわかっていたから……。何度も会いに行こうって思ったけど、離れることを選んだの。憎まれ役でいいって決意したの」鼻を啜って涙を流すまいと耐えつつ、話を続ける
「どうして、迎えに来てくれなかったの? もしも……大くんが来てくれたら駆け落ちするくらい覚悟はできていたんだよ」今更、責めてはいけないことなのだろうけど、思いが溢れてしまって聞かずにはいられなかった。大くんは眉の間に皺を寄せて、小さなため息をついた。「やっぱり、聞かされてなかったんだな。行ったよ。美羽のアパートに行ったら誰も住んでいなくて、実家に行ったんだ。でも、美羽は出掛けていてお母さんが対応してくれたんだ。美羽のお母さんは……堕ろしたと俺に言った。その時はいろいろと頭の中も混乱していて……裏切られたと思った。どうして美羽を信じ抜いてあげられなかったんだろう。愚かだった。ごめん」まさか、大くんが実家に来ていたなんて知らなかった。お母さんは大くんと私を近づけたくなかったのだろう。あの状況だったから、お母さんの気持ちはわかるけど、せめて家に来てくれたことを知りたかった。そうすればもっと心を軽くして、生きていけたかもしれない。「大くんは……あの時、本気で赤ちゃんを産んで欲しかった?」「当たり前だろ。俺と大好きな女の子供だったんだから」「そう。それを聞いてはなも喜んでいると思うよ。パパとママに愛されてたんだって自信を持ってくれたかな」立ち上がってベッドルームの方へ向かった私は「はなのお供えコーナーがあるの」と言って大くんを手招きした。はなのしおりを定位置に置くと、私は手を合わせる。ふと視線を感じて振り返ると、大くんは今にも泣きそうな切ない表情で私を見ていた。「……こうやってずっと……、手を合わせてたのか?」「うん。生まれていたらもう、十歳。きっといい子に育って可愛い子だったんだろうな。一緒に料理したり買い物をしたり。十歳なら、お洒落にも興味を持ちはじめるだろうから、ファッション誌を一緒に読んだりして、あーだこーだ話してさ。はなに、会いたかったな……」この世の中にいないし、きっとはなはどこかで新たな生を受けて生まれ変わっている気がしたけど、絶対に忘れられない。いつも生まれていたらって想像してしまう。「会えない間、辛い思いをさせてごめんな。本当にごめんなさい。許してほしい。一生かけて償うから」「そんな、謝らないで。お互い様だよ。大くんだって辛かったんだよね? もう、過去のことだから……ね。気にしないで」そう。過去のことなんだからお互いに
赤坂side「話って何?」俺は、結婚の許可を取るために、大澤社長と二人で完全個室制の居酒屋に来ていた。大澤社長が不思議そうな表情をして俺のことを見ている。COLORは一定のファンは獲得しているが、大樹が結婚したことで離れてしまった人々もいる。人気商売だから仕方がないことではあるが、俺は一人の人間としてあいつに幸せになってもらいたいと思った。それは俺も黒柳も同じこと。愛する人ができたら結婚したいと思うのは普通のことなのだ。しかし立て続けに言われてしまえば社長は頭を抱えてしまうかもしれない。でもいつまでも逃げてるわけにはいかないので俺は勇気を出して口を開いた。「……結婚したいと思っているんだ」「え?」「もう……今すぐにでも結婚したい」唐突に言うと大澤社長は困ったような表情をした。ビールを一口呑んで気持ちを落ち着かせているようにも見える。「大樹が結婚したばかりなのよ。全員が結婚してしまったらアイドルなんて続けていけないと思う」「わかってる」だからといっていつまでも久実を待たせておくわけにはいかないのだ。俺たちの仕事は応援してくれるファンがいて成り立つものであるけれど、何を差し置いても一人の女性を愛していきたいと思ってしまった。「解散したとするじゃない? そうしたらあなたたちはどうやって食べていくの? 好きな女性を守るためには仕事をしていかなきゃいけないのよ」「……」社長の言う通りだ。かなりの貯金はあるが、仕事は続けていかなければならない。俺に仕事がなければ久実の両親も心配するだろう。
司会は事務所のアナウンス部所属の方のようだ。明るい声で話し方が柔らかいいい感じの司会だ。美羽さんと紫藤さんがゆっくりと入場してきた。真っ白なふわふわのレースのウエディングドレスを着た美羽さんはとても可愛らしい。髪の毛も綺麗に結われていて、頭には小さなティアラが乗っかっている。二人は本当に幸せそうに輝いている笑顔を浮かべていた。きっと過去に辛いことがあって乗り越えてきたから今はこうしてあるのだろう。二人が新郎新婦の席に到着すると、紫藤さんが挨拶をした。「皆さんお集まりくださりありがとうございます。本当に仲のいい人しか呼んでいません。気軽な気持ちで食事をして行ってください」結婚パーティーではプロのアーティストだったり、芸人さんがお笑いネタをやってくれたりととても面白かった。自由時間になると、美羽さんが近づいてきてくれる。「久実ちゃん、今日は来てくれてありがとう」「ウエディングドレスとても似合っています」「ありがとう。また今度ゆっくり遊びに来てね」「はい! お腹大事にしてください」「ええ、ありがとう」美羽さんのお腹の赤ちゃんは順調に育っているようだ。早く赤ちゃんが生まれてくるといいなと願っている。美羽さんと紫藤さんは辛い思いをたくさんしてきたらしいので、心から幸せになってほしいと思っていた。アルコールを楽しんでいる赤坂さんに目を向ける。事務所が私との結婚を許してくれたらいいな。でも、たくさんファンがいるだろうから、悲しませてしまわないだろうかと考えてしまう。落ち込んでしまうけど、希望を捨ててはいけない。必ず大好きな人と幸せになりたいと心から願っている。そして今まで支えてくれたファンの方たちにも何か恩返しができればと思っていた。私が直接何かをすることはできないけれど陰ながら応援していきたい。
◆今日は美羽さんと、紫藤さんの結婚パーティーだ。レストランを借り切って親しい人だけを選んでパーティーをするらしく、そこに私を呼んでくれたのだ。ほとんど会ったことがないのにいつも優しくしてくれる美羽さん。忙しいのにメッセージを送るといつも暖かく返事をしてくれる。そんな彼女の大切な日に呼んでもらえたのが嬉しくてたまらなかった。私は薄い水色のドレスを着てレストランへと向かった。会場に到着して席に座ると、私の隣に赤坂さんが座った。「おう」「……こ、こんにちは」「なんでそんなに他人行儀なの?」ムッとした表情をされる。赤坂さんと結婚の約束をしたなんて信じられなくて、今でも夢かと思ってしまう。「なんだか……私たちも婚約しているなんて信じられなくて」「残念ながら本当だ」「残念なんかじゃないよ。すごく嬉しい」赤坂さんはにっこりと笑ってくれた。そしてテーブルの下で手をぎゅっと握ってくれる。誰かに見られたらどうしようと思いながらドキドキしつつも嬉しくて泣きそうだった。「少し待たせてしまうかもしれないけど俺たちももう少しだから頑張ろうな」「うん」大好きな気持ちが胸の中でどんどんと膨らんでいく。こんなに好きになっても大丈夫なのだろうか。小さな声で会話をしていると会場が暗くなった。そしてバイオリンの音楽が響いた。『新郎新婦の入場です』
「病弱でいつまで生きられるかわからなくて。私たち夫婦のかけがえのない娘だった。その娘を真剣に愛してくれる男性に出会えたのだから、光栄なことはだと思うわ」お母さんの言葉をお父さんは噛みしめるように聞いていた。そして座り直して真っ直ぐ赤坂さんを見つめた。「赤坂さん。うちの娘を幸せにしてやってください」私のためにお父さんが頭を深く深く下げてくれた。赤坂さんも背筋を正して頭を下げる。「わかりました。絶対に幸せにします」結婚を認めてくれたことが嬉しくて、私は耐えきれなくて涙があふれてくる。赤坂さんがそっとハンカチを手渡してくれた。「これから事務所の許可を得ます。その後に結婚ということになるので、今すぐには難しいかもしれませんが、見守ってくだされば幸いです」赤坂さんはこれから大変になっていく。私も同じ気持ちで彼を支えていかなければ。「わかりました。何かと大変だと思いますが私たちはあなたたちを応援します」お母さんがはっきりした口調で言ってくれた。「ありがとうございます」「さ、お茶でも飲んでゆっくりしててください。今日はお仕事ないんですか?」「はい」私も赤坂さんも安心して心から笑顔になることができた。家族になるために頑張ろう。
「突然押しかけてしまって本当に申し訳ありません」赤坂さんが頭を下げると、お父さんは不機嫌そうに腕を組んだ。赤坂さんは私の命を救ってくれた本当の恩人だ。お父さんもそれはわかっているけれど、どうしても芸能人との結婚は許せないのだろう。赤坂さんが私のことを本気で愛してくれているのは、伝わってきている。私の隣で緊張しておかしくなってしまいそうな雰囲気が伝わってきた。「お父さん、お母さん」真剣な声音で赤坂さんはお父さんとお母さんのことを呼ぶ。お父さんとお母さんは赤坂さんのことを真剣に見つめる。「お父さん、お母さん。お嬢さんと結婚させてください」はっきりとした口調で言う姿が凛々しくてかっこいい。まるでドラマのワンシーンを見ているかのようだった。「お願い、赤坂さんと結婚させて」「芸能人と結婚したって大変な思いをするに決まっている。今は一時的に感情が盛り上がっているだけだ」部屋の空気が悪くなると、お母さんがそっと口を開いた。「そうかしら。赤坂さんはずっと久実のことを支えてくれていたわ。こんなにも長い間一緒にいてくれる人っていない。芸能人という特別な立場なのに、本当に愛してくれているのだと感じるの。だから……お母さんは結婚に賛成したい」お母さんの言葉にお父さんはハッとしている。私と赤坂さんも驚いて目を丸くした。お母さんはお父さんの背中をそっと撫でる。「あなたが久実のことを本当に大事に思っているのは一番わかるわ。可愛くて仕方がないのよね」「……あぁ」父親の心が伝わり泣きそうになる。
慌ててインターホンの画面を覗くと、宅急便だった。はぁ、びっくりさせないでほしい。ほっとしているが、残念な感情が込み上げてくる。どこかで赤坂さんに来てほしいという気持ちもあるのかもしれない。ちょっとだけ、寂しいなと思ってしまう。私は赤坂さんと結婚するのは夢のまた夢なのだろうか。お母さんが言っていたように二番目に好きな人と結婚しろと言われても、二番目に好きな人なんてできないと思う。ぼんやりと考えているとふたたびチャイムが鳴った。お母さんがインターホンのモニターを覗くと固まっている。その様子からして私は今度こそ本当に本当なのではないかと思った。「……あなた。赤坂さんがいらしたんだけど」「なんだって」部屋の空気が一気に変わった。私は一気に緊張してしまい、唇が乾いていく。赤坂さんが本当に日曜日に襲撃してくるなんて思ってもいなかった。冗談だと思っていたのに、来てくれるなんてそれだけ本気で考えてくれているのかもしれない。「久実、お父さんとお母さんのことを騙そうとしていたのか」「違うの。赤坂さんお部屋に入れてあげて。パパラッチに撮られたら大変なことになってしまうから」お父さんとお母さんは仕方がないと言った表情をすると、オートロックを解除した。数分後赤坂さんが部屋の中に入ってくる。今日はスーツを着ていつもと雰囲気が違っている。手土産なんか持ってきちゃったりして、芸能人という感じがしない。松葉杖を使わなくても歩けるようになったようだ。テーブルを挟んでお父さんとお母さん向かい側に私と赤坂さんが並んで座った。
家に戻り、落ち着いたところで携帯を見るが久実からの連絡はない。もしかしたら、両親に会える許可が取れたかと期待をしていたが、そう簡単にはいかなさそうだ。久実を大事に育ててきたからこそ、認めたくない気持ちもわかる。俺は安定しない仕事だし。でも、俺も諦められたい。絶対に久実と結婚したい。日曜日、怖くて不安だったが挨拶に行こうと決意を深くしたのだった。久実side日曜日になった。朝から、赤坂さんが来ないかと内心ドキドキしている。今日に限って、お父さんもお母さんも家にいるのだ。万が一来たらどうしよう。いや、まさか来ないよね。……いやいや、赤坂さんならありえる。私は顔は冷静だが心の中は忙しなかった。もし来たら修羅場になりそう。想像すると恐ろしくなって両親を出かけさせようと考える。お父さんは新聞を広げてくつろいでいる。「お父さん、どこか、行かないの?」「なんでだ」「い、いや、別に……アハハハ」笑ってごまかすが、怪しまれている。大丈夫だよね。赤坂さんが来るはずない。忙しそうだし、いつものジョークだろう。でも、ちゃんとお父さんに会ってもらわないと。赤坂さんと、ずっと、一緒にいたい。ランチを終えて食器を台所に片付けに行くと、チャイムが鳴った。も、もしかして。本当に来ちゃったの?
久実を愛しすぎて、彼女のウエディングドレス姿ばかり、想像する日々だ。世界一似合うと思う。純白もいいし、カラードレスも作りたい。もちろん結婚がゴールではないし結婚後の生活が大事になってくる。つらいことも楽しいことも人生には色々あると思うが彼女となら絶対に乗り越えて行ける自信があった。ただ……俺も黒柳も結婚をすると、COLORは解散する運命かもしれない。三人とも既婚者のアイドルなんてありえないよな。大事なCOLORだ。ずっと三人でやってきた。大樹だけ結婚をして幸せに過ごしているなんて不公平だと思う。あいつが辛い思いをしてきて今があるというのは十分に理解しているから、祝福はしているが、俺だって愛する人と幸せになりたい。グループの中で一人だけが結婚するというのはどうしても腑に落ちなかった。だから近いうちに事務所の社長には結婚したいということを伝えるつもりでいる。でもそうなるとやっぱり解散という文字が頭の中を支配していた。解散をしても、俺は久実を養う責任がある。仕事がなくなってしまったら俺は久実を守り抜くことができるのだろうか。不安もあるが、久実がそばにいてくれたら、どんな困難も乗り越えられると信じていたし、絶対に守っていくという決意もしている。
赤坂side音楽番組の収録を終えた。楽屋に戻ると、大樹は美羽さんに連絡をしている。「終わったよ。これから帰るから。体調はどうだ?」堂々と好きな人とやり取りできるのが、羨ましい。俺は、久美の親に結婚を反対されているっつーのに。腹立つ。会うことすら許してもらえない。大きなため息が出てしまう。私服に着替えながらも、久実のことを考える。久実を幸せにできる男は、俺だけだ。というか、どんなことがあっても離さない。俺は久美がいないと……もう、生きていけない。心から愛している。どんな若くて綺麗なアイドルなんかよりも、世界一、久実が好きだ。どうして、久実のご両親はこんなにも反対するのか。俺に大切な娘を預けるのは心もとないのだろうか。なんとしても、久実との交際や結婚を認めてほしい。一生、久実と生きていきたいと思っている。俺のこの真剣な気持ちが伝わればいいのに……。日曜日に実家まで押しかけるつもりでいた。 強制的に動かなければいけない時期に差し掛かってきている。 苛立ちを流し込むように、ペットボトルの水を一気飲みした。「ご機嫌斜め?」黒柳が顔を覗き込んでくる。「別に!」「スマイルだよ。笑わないと福は訪れないよ」「わかってる」クスクス笑って、黒柳は楽屋を出て行く。俺も帰ろう。「お疲れ」楽屋を出てエレベーターに乗る。セキュリティを超えて ドアを出るとタクシーで帰る。一人の女性をこんなにも愛してしまうなんて予想していなかった。自分の人生の物の見方や思考を変えてくれたのは、間違いなく久実だ。きっと彼女に出会っていなければ、ろくでもない人生を送っていたに違いない。